<宇宙の現在> 人類の叡智 ここに在り さっきまで、あんなに聴き入っていた JAZZのメロディー♪ が、 急に遠くに感じられながらに考えるのですが、 地球が <歴史の彼岸> としての「2007年秋の彼岸」 から その公転周期の3分の1以上の軌道を転った2008年陰暦正月を終えようとするとき、 改めて、湯川秀樹先生の詩に込められたメッセージの重みというものを噛み締めているところです。 同時に、この 『真実』
のなかに出てきます 達人や詩人と呼ばれる方々の顔が想い浮かんできています。 私は、積極的にこれらの方々に教えを請い、 自らの人生の糧とし、心豊かにこれからの21世紀を歩んでいきたい、と強く心に誓うのです。 皆様御承知のとおり、 私、前島 修(まえしま おさむ)が、広島市長選挙公約記者会見で発しました 「月は地球の周りを転っているようで、 実は太陽の周りを転らされていることに気付いてはいないのです。 これまでの時代、人類もまた、生かされていることに目覚めずに、 自分で生きているかのように振る舞うことを前提とした政治の下に暮らしてきました。」 のメッセージは、 霊止のみならず <山川草木悉有仏性> に至る想いを暗黙知に反映させてのものですが、 私の3つの政治信条のうちの、特に、 「全員参加の広島づくり 百二十万人の広島市長誕生」 は、次に述べる点で重大な関連性があります。 20世紀的価値観の終焉の根本原因は、万物の霊長であったはずの霊止が 自然との調和を放棄したことで生態系が崩壊に向かっているため、 万物の霊長としての役割の復権の方向に「第六の視点」が働いている と解き明かされるところから “ワールド・ピース・ヒロシマ”地球再生(ユニアース)プロジェクトは始まっています。 万物を率いる機能を有する霊止の意識は政治家でなくても、皆、自然界に対しての為政者なのです。 <永遠の精神> としての霊的存在である霊止が <万物の霊長>
としての霊格を取り戻すことで、 霊止も生態系も地球も持続可能で健康な環境の獲得へと向かっていく、と推察されます。 さて、いよいよ本論ですが、 「インテリジェント・デザイン」は宗教でも宗教を否定するものでもありません。 人類が目覚め、「信じる立場」から「認める立場」へと 歩を進め実践していくための
<プラットホーム> です。 それは科学と宗教の融合を意味し、 具体的には、 平安社会実現のために「科学者」と「宗教家」の対話によって <人類の叡智>
とされるべきものです。 宇宙意識の下に、万物救済の意識が「物質論」と「精神論」の融合として結実されますことは、 世界連邦運動への賛同であり、 天と真釣り合いながらの霊止の働きによって、地球環境の健康福祉増進が果されることと想います。 このことは、経済アナリスト藤原直哉先生が 著書『ロハスでよみがえる 日本再生プログラム』の冒頭で紹介されています <分度盃> の教訓を踏まえることで、 より一層の危機意識の下での人類の使命につながるものと期待されるのです。 <宇宙の現在>、人類は二宮尊徳の教え 『分度』 に学び、それを実践するときに在ります。 「何事も、度を越えると越えた分だけがあふれてしまうのではなく、全部流れ出てしまう」 という、自然の摂理を重んじ、 地球環境危機を回避させる方向に大きく舵を切っていく必然性こそが <運命共同体> としての万物の霊長である人類の時代認識なのであり、 個々人の生活レベルにおいては、日常感覚のリーダーシップを発揮させながら 「自己の天分を自覚し、その範囲内で生活を自律すること」 が求められています。 阿弥陀仏一仏を御本尊とする浄土真宗本願寺派信徒は、 六字名号 <南無阿弥陀仏> を唱えますが、 信仰の対象は阿弥陀仏でも仏像でもないことを正しく理解するところから 本当の21世紀が始まる気がしてなりません。 六字名号の奥義は『「愛する」ことの本質について』で既述のとおりであり、 仏は自らの心の奥底に潜む魂に宿らせて自らが育てていくものなのです。 阿弥陀仏とは、数ある仏のなかでも、 わが名を呼ぶすべての人びとをもれなく救おうという誓いをたて、 厳しい修行のもとに悟りをひらいた特別の仏であるとされる。 阿弥陀とは、Amitayus(永遠の時間)、Amitabha(限りなき光明)を意味し、 その誓いを本願、その名を呼ぶことを念仏という。 と説明がありますが、 小生の正しい理解として、<南無阿弥陀仏> とは、 阿弥陀に帰依して自らが仏に為るという誓いであり、 <南無阿弥陀仏> を唱えた念仏者自身が、<南無阿弥陀仏> を唱えた瞬間、 阿弥陀仏そのものを目指す “本願寺に為る” という自覚こそが大切なのです。 信仰にすがり救いを求めることも時には大事ですが、 人類史によって、祈りだけでは平安社会は現実のものにならない、ことは証明されており、 宇宙意識の一部を担う霊主体従である霊止の多くはこのことを既に知っているはずなのです。 「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」 とあるように、平安社会は霊止が創っていくものです。 自らが <本願寺>
として念仏を繰り返し唱えながら、 数ある仏のなかでも特別の仏である阿弥陀仏を目指し、 霊止としての霊性を向上させていくなかで、 世のため人のために貢献していく生き方こそが、 阿弥陀仏の教えの真意と悟り、霊止 は “阿弥陀仏そのもの” の <似姿> と為っていくのです。 この瞬間、真に「インテリジェント・デザイン」に従っているという実感が得られるはずであり、 まさに、“他力の風が吹いてくる”
<起源意識>
の状態に在ります。 平成17年、2005年の年の瀬の時点では、まだまだ頭で自分のことを考える自分であったので、 入廛垂手を悟りの境地に向かうための“帰依する姿勢”と誤った解釈をしておりました。 “自我から我己を捨て去り、自己だけが残された状態”
こそが <入廛垂手>
であり、 霊止は皆、 この世に帰依する誓いを立てて
“入廛垂手”
に生まれて来ている シャボン玉のような存在であることに気付かされるのです。 <入廛> とは、まさしく、 <この世への出生を意味する言葉> と云えます。 <万教同根> の精神において、“仏の教えは神の道”
とも心得ております。 『被爆六十周年記念事業 コンセンサス会議』(企画運営委員長 前島修)で 歴史的証言者をお務めになられた中里博泰先生の教えを中心に構成して開設の 『「世界平和の創り方」講座』でお伝えのとおり、 いままで、霊止の多くは、 日常生活において
“物と名の結合意識の支配下” に暮らしているため、 霊止の意識が “物と名で結びついている井戸”
の外側の世界を発見できるのは稀有な現象でした。 しかしながら
<宇宙の現在> 「5次元時空」こそが宇宙の現実の姿と知られつつあることに共鳴する 自己相似としてのシンクロニシティーにおいて、このことは容易に受容されていくものと想われます。 すなわち、霊止の「4次元時空」を包み込む外側のプラス1次元の認知現象が、 “物と名の結合意識の井戸”
の外側の世界の理解の助長につながることで、 <卵の中の雛>であった人類は、卵の殻を破ることが出来たのであり、 2008年、“井の中の蛙は大海を知ることが出来た”のです。 「インテリジェント・デザイン」 という <人類の叡智のプラットホーム> を通過することで、 宇宙意識に共鳴する霊止の意識の働きが “地球環境の健康福祉増進へと向かわせる”
との <想い> こそが、 霊止の奇跡の軌跡に、緑の輝きを与えてくれるものと確信しております。 平成20(2008)年2月7日 陰暦1月1日 2668年目の元日の所感を記す 前島 修
<永遠の愛>の詩 平成20(2008)年2月14日
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