21世紀 「社会的人間の尺度」 の獲得に向けて これからの時代をたくましく豊かに生きていくための必読の書として、
五木寛之著 『人間の関係』
をお薦めします。 人間は
「関係」 がすべてである。 壊れゆく
「人間の関係」 を憂う著者のふかい深いため息が聞こえてくる書ですが、 <その悲>
が確実に伝わるための手段として、ちあきなおみ 『霧笛』 を選んでみました。 選曲におけるインスピレーション発露の根源には、 本書の幅の広さ、奥の深さ、「悲」
のため息を形容する表現としての最適さを判断する前に、 「感謝をもとめない、励まさない」
の章の最後のメッセージ (P176〜P177) 戦後の六十年間、私たち日本人は「慈」の感情ばかりが強調されるなか を、必死で走りつづけてきました。これまではがんばれ、という前向きの 声だけが強調されてきたのです。そして「悲」というのはどこか前近代的 で、暗く、さびしいものだと思われてきたのではないか。 しかし、「悲」を忘れた日本人の心は、いま限界まで乾ききってしまっ たように思われてなりません。 私たちは、もう一度、慈悲という言葉の「慈」とともに、「悲」という 言葉のもっているふかさというものを見直さなければいけない。ぼくは、 切実にそう感じるのです。 (※上記転載文の前近代的の下線は筆者の加筆) に対する
<強い魂の共感> が流れています。 ここで指摘される
<前近代からの脱出としての失敗> を広島平和記念資料館建設に顧みて、 終戦記念日(1945(昭和20)年8月15日)以降の 「物質世界」を中心とした人類の歩みを20世紀的価値観の <反省> とすることで、 これからの21世紀創り “ワールド・ピース・ヒロシマ” を提唱したく存じます。 改めて確認させて頂きますと、 <真の平安社会実現> のために時代を大きく動かしていくためには、 従来の “歴史に学ぶ” 姿勢から “歴史を鏡とする意識”
へと発達させていく姿勢を 重要視していく必要があります。 より具体的にその姿勢をはっきりと明言するならば、 <メメント・モリ
= 死を想え> を <ヒロシマを想え> とするべきではないか、と想うに到ったのです。 現世、<限りなく壊れゆく人間の関係>
が生じている背景には、 その根底に、 目に見える世界と目に見えない世界との
<運命共同体としての意識のつながりの欠如>、 すなわち
<空> への無理解があることは言うまでもありませんが、 さらに深く視れば、 「自分とは何か?」についての意識の迷い、人は霊止であることの自覚の足りなさ、 人間とは、 霊止と霊止との間に生まれる <社会> に極めて近い現象にすぎないものであることへの悟りが、 <色> において著しく不足している結果であることを強く認識している次第です。 小さな社会もあれば、大きな社会もあります。 公とは、およそ大きな社会を示す言葉ですが、 21世紀、宇宙レベルでの公の体制を創っていくにあたり、 <百花為誰開 (ひゃっか たがために ひらく) > を原則に、 小さな社会の基本となる家庭を大切にしながら、経済アナリスト藤原直哉先生御提唱の 『グレイト・コラボレーション=偉大なる共生』社会の建設を成功させるための精神は、 「社会的人間の尺度」の獲得にほかならない、と正しく理解させて頂きました。 建築家丹下健三氏による広島平和記念資料館は昭和30(1955)年の開館です。 建築の世界を通して52年間、国際平和文化都市・広島で復興の象徴として 「人間の尺度」 を超えた 「社会的人間の尺度」 を主張し続けて来たことになります。 終戦から62年の循環を終えた現今、 果たして人類は
「人間の尺度」 を超えた 「社会的人間の尺度」 を獲得したと云えるでしょうか。 どうやら建築において
「人間の尺度」 を超えた 「社会的人間の尺度」 を追究することでは 平和構築の精神は育たなかったようです。 いまや日本列島各地一様にそびえ立つ超高層ビル群が、 しきりに
<兵どもの夢の跡> と映るのは、21世紀的価値観の芽生え故の現象でしょう。 ヴァルター・グロピウスの主張のとおり、 あくまでも建築においては
「人間の尺度」 を大切にし、むしろ霊止こそが、 「人間の尺度」 を超えた 「社会的人間の尺度」 の獲得を目指す時代を築いていくべきだった、 という反省が戦後62年の循環を終えた現今の偽らざる姿なのです。 これは、丹下の主張に反する結果です。 しかしながら、広島平和記念資料館を20世紀的価値観、人類の驕りの反省の象徴とすることで、 広島平和記念公園は新たなる文明遺産としての価値を手にする可能性を秘めています。 「過ちは繰返しませぬから」 に20世紀的価値観の反省という新たな人類の教訓が刻まれるというわけです。 <ヒロシマを想え> 総てはここから再び始まらなければなりません。 そうして、ヒロシマから放たれる平和統一原理は、 日本国1億数千人にのみ共有されるものではなく、 全人類に等しく理解されるべき、世界に通用する宇宙レベルの普遍性を備えた “ワールド・ピース・ヒロシマ”
である必要があるのです。 「愛する」 ことの本質についての正しい理解の下で、 霊止が、 「人間の尺度」 を超えた 「社会的人間の尺度」 を模索する21世紀の動きを具体的に示すならば、 それは自然と霊止が響き合う中から生まれてくる万物調和であり、 万物の霊長として、天と真釣り合っていく姿にほかなりません。 平和統一原理とは、万物全体が一体としての <和多志> を完成させることです。 <空> は名も無い “名の前の世界”
ですが、 敢えて <クリスタルハート> と名付けて起源意識が宇宙を創った物語を絵本で表現しています。 既に、現代の科学の限界を指摘させて頂いておりますけれども、 宇宙は何もない無から誕生したのではありません。 <空> だけの状態だった無から <色> が創まれた原初が、約137億年前の現象なのです。 宇宙を 「4次元時空」 と視たアルベルト・アインシュタインは 「この宇宙で絶対的なものは光の速度だけである」
と説き、 重力は存在せず
「4次元時空の曲がり」 だけが存在する、と唱えました。 1999年に 「ワープした余剰次元モデル」 を発表したリサ・ランドール博士らの仮説は アインシュタインの宇宙観を支持しながらも 2008年に動き出す予定のCERN (ヨーロッパ原子核研究機構) の LHC (大型ハドロン衝突加速器) による実証実験によってその殻を破り、 「5次元時空」 こそが宇宙の現実の姿であることを伝えつつあります。 「次元の科学」
の面白さ斬新さが <卵の中の雛> のクチバシとなり、 宇宙のリズムに温められ続けてきた時間軸とシンクロナイズした結果、 人類の意識の殻を破る時期を迎えようとしている、と解釈されるべきでしょう。 この新たな幕開けに、ピュータゴラース学派のシンボルマーク
「テトラクテュス」 は、 どのように応えると好いでしょうか―― 平成が20年の戊子の2008年。
了と一を現す <子> 文字通り、21世紀の羅針盤となりそうな 終わりもなく
始まりもない 新たな旅たちに いま 期待感で満ち溢れています。 平成19(2007)年12月22日陰暦11月13日大安 冬至(太陽横経270°) 前島 修 21世紀文明の夜明けと共に ヒロシマ鎮魂歌としての広島JAZZをヒロシマ文化へと |