2007年7月17日11時11分(日本時間20時11分)からの60分間、 人類の < 愛する意識 > が、地球を優しく包み込んでハーモニーを奏でています。 < 人類の明日 > を迎えるきっかけを促す意識が < 和多志 > になろうとしているのです。
< この瞬間 > を、いつものように、 ピアノ演奏に耳を傾け、 ロイヤルミルクティーの濃い蜂蜜の甘さを確かめながら味わう慶びは、 < 人類の明日 > を味わう慶びになるに違いありません。
映画『ラストラブ』は、人生を鋭く問い、 生きていくための精神力を鍛えてくれる < 愛の物語 > でした。 愛する人を失った時のつらさを < 生きる力 > に変えていける強さを身に付けたとき、 < 永遠の愛 > に出逢えることも諭してくれたのです。
< Begin The Beguine >
現今、人類は本当の < ラストラブ > に出逢うための < 宇宙の現在 > に在る のかもしれません。
「物質世界」中心の時代から「精神世界」中心の時代へと、 大幅な意識の移行が図られていく際、多くの < つらさ > に出遭う場面もあることでしょう。 しかしながら、そんな時こそ < この瞬間 > の ピアノ演奏のメロディーとロイヤルミルクティーの濃い蜂蜜の甘さが、 その < つらさ > を優しく包み込み融かしてくれたら良いのにな、 と < 永遠の現在 > に想うのです。
広島に暮らしていることの意識が、身体全体に定着し始めた頃、 東儀秀樹さんの雅楽『TOGISM2』に聴き入っていたことが懐かしく想いだされます。 そのなかの一曲に『生きてきたぼくたちへ』があるのですが、 雅な音色に自然と言葉が結ばれた < 不思議な体験 > は、 おそらく、人類が初めて < 言葉の意味 > から < 言葉 > というものを < 紡いだ記憶 > に近い現象ではなかったのか、と < 瞬間 > に思えてくるのです。 宇宙の深淵において、“< 言葉の意味 > に触れる”ことこそ「愛する」ことの本質である、 と認める意識のなかで、< この瞬間 > に、今一度 < 不思議な記憶 > を引き寄せてみるのです。
もう どのくらい旅をしてるんだろう いまの私になる以前の 遠く遡れば それこそ 生命が誕生してからのことです
そう― わたしがあなたで あなたがわたしだった頃からの……
この音を聴けば その遠い記憶を すぐさま呼び覚ますことができる
決して 激しく 燃え盛るものではない ゆったりとした 静かで この確かな流れ
< 運命と宿命が交錯する瞬間 > < あなたとわたしが出遇うとき>
僕達は 今でも一緒に旅をしてるのです これから先も 地球がある限り
僕達は物語の中に生きているのです
このリズムに乗れば 過去の物語を想い出すことができる このリズムに乗れば 遠い未来を旅することもできる
そして あなたとわたしは はじめから そして今も そして未来も 強い絆で結ばれていることを確かめ合うことができるのです
『生きてきたぼくたちへ』。 あれは確か、2001年春先の出来事でした。
平成19(2007)年7月17日 前 島 修
<歴史の彼岸> としての「2007年秋の彼岸」 「彼岸の明け」に『歴史の彼岸』を耽読しての想い |