旅すること 生きること 自己と向き合う時間が日に日に増してきているようだ。 受験一辺倒だった高校生の時分に沸いてきた難問を 心の片隅に置いてやり過ごしてきたが、 元来、誤魔化す事が出来ない性分のためらしい。 突如再現した現今(いま)、 受験勉強という邪魔者がいないから難問を直視できる日々である。 その魔物とでも呼ぶにふさわしい難問に対峙する自分こそが 本来の自分であるらしく思えてきて、 不確かな時代に辛うじて<心の安定>を得ながら暮らしているのが実状である。 「無事消光しております」といったところか。 不幸中の幸いというか、昔と異なる点は“悩ましい心の中に在る” という時代の感覚だ。 自分の心の中だけに生まれていたはずだった難問が、 10年以上もの歳月を経て私の心の中から抜け出て魔物と化し、 人類に立ちはだかる世界共通の命題に変わっていたのだ。 被爆六十周年の今年、GWに「京都」「備前」、
7月の三連休に「熊野古道」
と、古人(いにしえびと)の魂に出逢う機会を多く得ている。 不思議と由緒ある地に足を踏み入れただけで60兆個の細胞が活気付く感覚があった。 DNAに刻まれている記憶が蘇(よみがえ)るらしい。 同時に、我々を取り巻く生活環境が変わっただけで、 人間本来の役割はなんら変わっていないことを再確認させられる瞬間(とき) に恵まれた。 後白河法皇も参詣されたと伝えられる同じ道を 追憶の熊野古道として堪能した余韻が残るなかで、 六十年目の広島原爆忌である平和記念式典に「ジャンボ折り鶴」と共に参列。
還暦と輪廻に想い巡らし「人間とは何か」と考えた。 昨年の今ごろアテネオリンピックのテーマでもあった「人間とは何か」 との問いが、 混沌とした世界情勢のなかで不気味にその問い掛けを強めてきている。 古来より「人間とは何か」と自問自答を繰り返しながら それぞれの天寿を全うしてきた歴史があるが、 DNAシステム解明へと突入している現代におけるその命題は 「天のシナリオ」を意識してのこの役割を考える意味において全く異なると言える。 藤原直哉著『「天のシナリオ」の読み方』 五木寛之著『神の発見』・『天命』 が、この辺りのことをうまく説明してくれている。 時代がどう動くか――。 興味はこの1点に尽きる。 平成17(2005)年9月 前 島 修 八月六日八時十五分 61年目のヒロシマの下で 平成18(2006)年8月6日
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