灼熱の太陽が照り付けるアスファルトの陽炎のなかで、独り想う。 <ゼロ・ベクトルの存在> 始まりと終わりはどこなのか――。 大学院への進学を決意していた、夏の日の勤労学生としての姿が思い起こされる――。 あれから10年以上を経て、広島で故郷を想ういまも、なぜか心はあの日に還る。 遠くから故郷を見つめた初めての光景が、私の脳裏に焼き付いて離れない。 昭和48(1973)年某月某日11時17分。身長43cm、体重1,780gで出生。 修 ( オサム ) と命名される。 「分け合うこと」と「競い合うこと」を教えられ学びながら、山口県の周南に生まれ育った。 両親への感謝の気持ちを今更のように感じつつ、 30歳を迎える前にすべてを無に返した私は、幼少の頃を懐かしみはしない。 <自分自身を流れる>ことを考え、刹那的に暮らしている今、 実家に「へその緒」だけが残る。 マンションのベランダに立ち、5月に出版した本のことを想った――。 <メディアとしての存在>を反芻しながら、 自分を、 宇品橋の下をゆっくりと流れ、元安川と合流して広島湾に注ぐ京橋川の水面に映す。 What a wonderful ......! 今のこの瞬間が生まれて消えていく。。。 今、この瞬間がなつかしい 平成15(2003)年11月 前 島 修 |