被爆六十周年記念事業 コンセンサス会議
歴史的証言に基づくヒロシマ平和コンセンサスの試み

主催: ワールド・ピース・ヒロシマ
共催: 財団法人広島平和文化センター
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核兵器廃絶、劣化ウラン弾禁止のために 〜市民運動の立場から〜

森瀧春子(
核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表)


ヒロシマ・ナガサキに人類未曾有の惨禍をもたらし膨大な被爆者をもたらした核攻撃いらい60年間、とどまる事のない核開発は、地球上にさらに無数のヒバクシャを生み出し、苦しめてきた。核開発の入り口であるウラン鉱山採掘から、出口である核廃棄物を利用した放射能兵器・劣化ウラン弾の大量使用にいたるまで、人類を被曝させ続けている。
アフガニスタンへのテロ報復攻撃に始まるアメリカの一方的強権主義による「テロとの戦い」は「安全保障を脅かす」とされる国への先制攻撃論を振りかざしてのイラク戦争へと突き進んできた。
ブッシュ政権が公表した、2002年1月の「核態勢のみなおし(NPR)」によって、2000年5月に核拡散防止条約(NPT)再検討会議で約束された「核兵器廃絶への明確な約束は」突き崩された。
「見直し」の中では「核兵器は米国、同盟国、友好国の防衛能力において決定的な役割を演じる」と位置づけて、核廃絶への意思をまったく放棄しているのみならず、2002年9月には米国防総省報告において「大量破壊兵器などの行使を目論むと見做される敵に対しは、核兵器を含む先制攻撃も辞さない」との方針をあらわにし、イラクへの攻撃で先制攻撃を現実のものとした。
そこでは、湾岸戦争において大量に使用した劣化ウラン弾を、再び当然のように使用してイラク全土を爆撃した。劣化ウラン弾は湾岸戦争、バルカン戦争、アフガニスタン攻撃、そして今回のイラク戦争で「優秀な兵器」としてバンカーバスター、クラスター爆弾に弾芯として大量に使用されてきたが、人体への深刻な放射能被害をもたらすのみならず、大地をも永久に放射能汚染し続ける放射能兵器である。「大量破壊兵器の脅威」「核開発の疑い」を掲げ、国連憲章,国際法を踏みにじってイラク侵略は、罪なきイラク民衆を大量に傷つけ殺戮し子供たちの未来を放射能で奪い,さらに今も続く泥沼の占領状態はアメリカの先制攻撃がもたらした大義無き戦争の罪悪性を暴きだしている。
米エネルギー省は14年ぶりに04年4月、核兵器の起爆装置として使うプルトニム・ピットの製造を再開した。米上院・下院は04年5月には「ファース・スプラット条項」の廃止を可決、五キロトン以下の小型核兵器開発・研究に踏み切り、また同時に上下両院が可決した国防歳出権限法案によって、「強力地中貫通型核兵器」の研究開発にも着手し、地下核実験再開への期間短縮のための予算も計上して、着々と「核態勢見直し」政策をおしすすめてきた。米国は、核兵器に「核抑止」に加えて「実戦使用」の役割をも与えようとしている。
「悪の枢軸」を含む7ケ国を名指ししてイラクへの先制攻撃を展開したアメリカの一極専制主義も思わぬイラクの泥沼化、国際的孤立化の中におかれている。
「暴力には武力で」と果てしなく続く「力の連鎖」に覆われ、核の使用を現実化しようとする状況はまさに人類の危機をもたらしている。
このような今日の状況の中で、しかし、世界民衆が立ち向かおうとする反戦反核の努力も確実に進められてきた。2000年のNPT再検討会議における最終文書に示された「13項目の「核廃絶への明確な約束」はその表れであったし、それを葬り去ろうとする力に対して各国でNGOが取り組んできた力もまた、絶望的に見える今日の核を巡る状況の中では、引き継がれより大きくしていかれるべきものとして活性化した。軍事的あるいは政治的な権力を持たない民衆が作り出してゆく運動が、世界各地でさまざまに取り組まれてきているが、広島、長崎両市が提唱し、世界の核廃絶運動に活力を与えた平和市長会議の提言[核兵器廃絶シティ・キャンペーンは国家に対し、民衆の声に根ざした自治体がその主体的な力を発揮し、イニシアティブを持って核兵器廃絶にいたる閉塞状況に風穴を開けてゆこうとして国際NGOの中でも際立つものである。05年5月NPT再検討会議に結集した平和市長会議の活躍に代表される世界の反核運動の近年にない活躍にもかかわらず、NPT体制は、アメリカ・ブッシュ政権の強硬な核政策の前に崩壊寸前の状況を露にした。
ナガサキ・ヒロシマの原点から世界に核廃絶を発してゆく取り組み、具体的な戦争・放射能被害を明らかにして戦争犯罪を告発してゆく取り組み、それらを国際連帯のもとに大きなうねりとしてゆき、近い将来に核兵器を放射能兵器を廃絶してゆくための具体的な運動をどう築いてゆくか、実践的な展望を被爆60周年にあたり心を新たにしてきり開きたい。
2002年、核兵器廃絶をめざすヒロシマの会は、アメリカの危険な核政策の発表に危機感を持ち、直ちにアメリカへの[ヒロシマ・ナガサキ反核平和市民使節団]を19名の参加者を得て、アメリカに送り出して、さまざまな行動を力強く展開した。
テロへの報復に異議を唱える9・11犠牲者家族の会・ピースフル・トゥモローズをはじめとするさまざまなアメリカの反核平和市民団体との交流、ワシントンでの上・下院議員たちへのロビー活動、各地での被爆体験の証言活動等の行動に立ち上がった。イラクへのアメリカの戦争の強行に対して、ヒロシマは心を一つにして立ち上がり、2003年3月2日には、「NO WAR NO DU!」 のアピールを6000人が結集して世界に連帯した。05年5月、2度目の意見広告をNYタイムスに掲載し、ヒロシマから発したメッセージはアメリカの良心を大きく揺るがしたと確信できる。その流れを大きくしていき、、アメリカの侵略戦争を支持する日本政府の自衛隊派兵、さらに核兵器の保有論さえ飛び出してくる憲法改悪の動きの加速化を押しとどめてゆきたい。
58年前の核戦争がもたらした人間的悲惨さの極致を体験したここ原点ヒロシマの地において、人類生存のために核絶対否定をかかげ人間の叡知を集めて、この危険に充ちた世界に立ち向かっていく信念のもと、放射能兵器・劣化ウラン弾禁止条約を目指す国際キャンペーン活動とともに、核兵器廃絶への具体的な道筋をつくり多くの市民の皆さんの参加を得て運動の力を蓄えていきたい。


平成172005)年73


ヒロシマ平和コンセンサス『鍵となる質問』

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